古くから東大久保村の鎮守社であり、正式には大久保天満宮という。現在でも広い境内を持ち、椎の木などが森をなしている。菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したもの。西向天神社という名は、地形上、社殿が西方(京都)を向いていたからつけられたものである。他に棗(なつめ)天神という俗称もある。これは、寛永年間(1630年代)に、三大将軍家光が鷹狩りに来た際に、荒廃していた当社を見て、社殿等の修復のために金の棗の茶入れを下賜して再興を促した、という伝承によるもの。また、慶安から天和年間には、桜の名所であったことも書物に残されている。
太田道灌の山吹の里伝説で知られる紅皿碑と富士塚あり。文書(非公開)。 |